プロフィール補足 小学生編 お漏らし大帝現る

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こんにちは。めがね税理士の谷口(@khtax16)です。

 

だいぶ前にプロフィールの補足として「0歳~5歳編」を書いたのですが、ものすごくくだらない話を書きたくてしょうがない衝動にふとかられたため、続きの小学生編を書き記したいと思います。

 

その「0歳~5歳編」の最後に次回予告的な感じで

「小学校に入ってお漏らし大帝時代に突入するよ」

と書いたのですが、これは誇張でもなんでもなく私の小学生時代は「お漏らし大帝時代」です。

 

そのため万一ご飯を食べながらスマホなど見ている方がいらした場合、決してご覧にならないことをおすすめいたします。

(ご飯中じゃなくてもほんとくだらない話なので悪しからず。。)

 

プロフィール補足 小学生編

 

小学1年生 早速漏らすよ!

いや、むだにハードル上げるのもどうかと思うんですがほんと漏らしてたんでこれはしょうがないんです。

もしお子さんのお漏らしに悩まれているお父さんお母さんがこの文を読まれている場合、

「うちの息子はいまでこそ漏らしてるいるが、まあそれなりに生きてはいけるらしい」

と思ってくださいほんとに。

 

 

で、小学一年生のわたくし、小学校に通っておりまして、まじめに授業を受けておりました。

 

 

で、授業中ってなんかふいに催すことないですか?

しかも小学生って、トイレ行って個室に入ったら「やーいうんこまーん」とかからかわれちゃうわけじゃないですか。トイレ関係すごくデリケートじゃないですか。

こども心に自然とがまんしますよね。

「もうすぐ授業おわるからガマンだ、もうすぐ授業おわるからガマンだ」

何度も心のなかで唱えます。

 

でも小学一年生のわたくし、尻の筋肉がまだ発達してなかったんでしょうね。

 

 

「あっ」と思ったが最後、あっさり漏らしてしまいました

「あっ」じゃねえっつの。「あっ」じゃねえっつの。

 

あ、いま「尻の筋肉」と言ったことでお気づきになられましたでしょうか?

はい、小ではなく大のほうを漏らしてしまいました

 

女神のごときオゴモリ先生

いまでもはっきり覚えていますが、トイレの洗面台(台所のシンクみたいな感じでした)のところに立って、当時の担任の先生にきれいにしてもらいました。

お名前は忘れもしません、尾籠(おごもり)先生という変わった名字の女性の先生でした。

 

いま思い出したって顔から火が出るほど恥ずかしい記憶ですが、小学1年生とはいえ私も男の子。

トイレの洗面台に立って下半身丸出しで処理してもらうことに、並々ならぬ屈辱感を抱いたことをいまでも鮮明に思い出せます。

いや屈辱感もくそも自分で漏らしたんですけど(くそだけに)。

 

尾籠先生あのときは本当に申し訳ありませんでした。本当に土下座したいぐらい申し訳ないです。

 

そういえばピアノ始めた

 

漏らした話ばかりでもあれなので、書きながら思い出しましたが小学校一年生でピアノを習いはじめました

これは2歳上の兄が先に始めていたからで、その影響でした。

 

多分兄へのあこがれがあったんでしょうね、「お兄ちゃんがやるならぼくも!」という感じだったんですが、はじめたら予想ほど面白くなくすぐに「やめたい」と言い出すくそ生意気なこどもでした(くそだけに)。

ただそのわりに中学3年生までは続きました。一番長く続いた習い事がピアノでしたね。

私は女性の方に「指が長い」等指をほめていただけることが多々あるのですが(女性の方って指をよく見ますよね)、それは多分ピアノの影響なんだと思います。

 

しかしいまでも弾けるのは坂本龍一さんの「energy flow」という曲の、はじめのごく一部だけです。

(リゲインEB錠のCMのテーマソングだった曲です)

なんだかもったいない気がしますね。また始められたらなーとも思いますが、優先順位的にはかなり低いのでいつになるやら。。

 

 

 

小学3年生 また漏らすよ!

話がそれてまた戻ってきてなんなんですが、小学校3年生でまた漏らします

と言っても正直どんな状況だったかはあまり覚えていません。

(小学1年生のときも、上ではああ書きましたがどんな状況で漏らしたのか明確な記憶はありません)

 

 

でもまあ多分、

 

 

って普通に授業受けていて、

 

 

「あっ」って漏らしたんだと思います。

「あっ」じゃねえっつの。「あっ」じゃねえっつの。

 

しかしご安心ください、あのときからは2年の月日が経過しています。

こどもが2年の月日でどれだけ成長するのか、みなさんはよくご存じですよね?

そう、このとき漏らしたのは大ではなく小でした。

 

谷口少年はわずかながらも成長していたのです!(わずかすぎる)

 

「おれも漏らしたことあったよ」に救われる

私が通っていた小学校は2年に1度担任の先生が交代する制度だったため、このときは屈強な体育の先生(男性)が担任でした。

先生が保健室に連れていってくれたものの、私は一緒に教室に戻る最中「ぜったい怒られる」と非常にびくびくしていました。

でもその先生は、一緒に階段をのぼりながらこともなげに、

 

「おれも小学校のときさ、漏らしたことがあったよ。恥ずかしかったなー。だから、谷口も大丈夫だよ」

 

と笑いながら励ましてくれました。

私はその言葉に救われたことを、そのときの気持ちを、いまでもはっきりと覚えています。

その先生の名前は、忘れもしません。

 

吉原先生……?

 

吉川先生……?

 

とにかく吉なんとか先生でした。

 

(先生本当に申し訳ございません。心から感謝しておりますし、先生のお言葉を忘れたことは一度もございません。あのときはありがとうございました)

(多分吉原先生のはず……)

 

習字を習い始めたよ

 

それと小学校3年生のときに、習字を習いはじめました

これはたしか小学校卒業と同時にやめたので、4年間ぐらいですね。

 

しかし習っていたはずなのに私の字は非常にへたなので、これもできればペン習字でも改めてやりたいなーと思っています。

(ピアノよりは優先順位高いです)

 

 

 

小学4年生 親の離婚

この流れでぶっこむのもどうかと思うのですが、小学4年生のときに親が離婚しました。

兄と私と弟の男三人兄弟は母親に育てられることになります(母は後年再婚しました)。

いま考えると男三人兄弟を女手一つで育てるってものすごいことだよなーとしみじみ思います。

 

いまでも思うところはいろいろありますが、まあ親の仲の悪いところをずっと見ているのもどうなのかな、とも思いますので、しかたなかったんだろうなあという考えに当時もいまも行き着きます。

お父さん万一これを見る機会があれば連絡ください。あのたくさん漏らした次男です。

 

 

 

小学5年生 学級委員になる

大を漏らし、小を漏らし、と来ましたので、もうご安心ください。

別に2年ごとに漏らすルールがあるわけでもなし、健やかに成長した谷口少年はここまで一度も漏らすことなく、小学5年生でなぜか学級委員になります

(クラスで男女一人ずつ選ばれる、メガネかけた秀才君がやるイメージのやつです)

 

いま思い返してもふしぎなんですが、特に学校が変わったわけでもなく、あんだけ漏らしてていじめられもせず学級委員になったのは奇跡だと思います。

昔からまわりの人には恵まれていたんですね。

(漏らしたことをいじられることさえありませんでした)

 

勉強で兄弟間の差別化をはかろうとした

学級委員になったのは多少のいきさつもあって、先ほども書いたように私は男三人兄弟でした。

  • 兄 ⇒ 2歳上
  • 弟 ⇒ 5歳下

とまあ弟は多少離れていますが、なにが言いたいかというと全員が男なのでなにか差別化をはからないと兄弟で目立てなかった、ということがあります。

 

で、私はほかの兄弟に比べて勉強が多少得意でした。

なので勉強で差別化をはかろうとした結果、それなりによい成績になり、学級委員になったというのがその「多少のいきさつ」です。

(といっても僕より勉強ができる子はたくさんいましたし、そんなにできたわけでもありません。あくまで兄弟の中で)

 

勉強に注力したとは言っても、母子家庭でお金がなかったので私は塾に行ったことがなく、高校の受験までずっと進研ゼミでした。

当時は塾に行く子が大多数だった中、本当に進研ゼミ様様です。

私は資格試験を受けるときは通信教育がわりと好き(というか講義を受けに学校に通うのが苦痛)なのですが、それはこのときの影響が大きいんだろうなあと考えています。

 

サッカーとバスケはじめる

また、なぜか急にアクティブになりますが、

  • 地域のサッカークラブに入る
  • 学校の朝練でバスケットボールをはじめる

といったことがありました。

(サッカーは小学校3年生だったかもしれません。。)

 

はじめたきっかけは全然覚えていませんが、「プロのサッカー選手になりたい」と言い出していたのでそれなりの自信もあったのでしょう。

なにせサッカークラブでは不動のベンチ要員でした。

まったくのレギュラー経験ゼロ。

バスケもへたなりに楽しかったです。

 

 

 

小学6年生 泣き虫がなおらない

すみませんすでに3000字を超えていて大変長いので早めに。

『プロフィール補足 0歳~5歳編』でも書いたように私はむかしから泣き虫で、このときに至るまで全然治りませんでした。

 

修学旅行のバスで怖い話を聞くことに

しかもただ泣き虫なだけじゃなく、怖い話が大嫌いな軟弱めがねだったんですね。

それでなぜか小学6年生の修学旅行の、行きか帰りのバスの中で怖い話を聞くことになりました。

(ちなみに修学旅行は日光へ行きました)

 

私ははじまる前から

「やめでー」「やめでー」

と泣き言を言っていたのですが、いざはじまるとやっぱり怖くてすぐさま声を上げて泣いてしまいました

 

 

おや・・・??

濡れているのは目のまわりだけか・・・???

 

 

いや セーフですセーフ

さすがにそこは小学6年生。ちょっとやそっとじゃ漏らしません

 

いきなり泣き出してクラスの女子に白い目で見られただけで済みました

 

 

ときどき釣りも行く

思い返して、意外にアウトドアだなーという印象ですが、友達に誘われてときどき釣りに行くこともありました。

 

ところで、釣りって、ちょっと学校の授業に似ていませんか?

どんなところがって?

 

そうですね、なんというか、催したときに簡単にトイレに行けないところ・・・?

 

 

あー アウトですアウト!!

谷口少年、ここでまたも大きいほうを漏らしましたー!!

 

いや行けなかったんですよトイレに。しかも友達に言うのが恥ずかしかったんですよ。

まあ結果的に友達に「ちょっとお腹痛いから先に帰るわ……」って言って、帰りのバスでまわりの方に怪訝な顔で見られてもっと恥ずかしい思いをしたんですが。

(あのときのバスの乗客のみなさま、ご不快な思いをさせ本当に申し訳ございませんでした。深くお詫び申し上げます)

 

 

 

 

おわりに

というわけで、私の小学生時代、お漏らし大帝時代でした。

 

まあ世の中には私より漏らしている方もいらっしゃるのかもしれませんが、

  • 大2回
  • 小1回

ということで「お漏らし大帝」の名に恥じぬ活躍は示せたのではないかと自負しています。

(外で漏らした回数なので、多分夜のおねしょ含めたらもっとえげつない数になると思います)

 

ほんとによくいじめられませんでしたね。

純度100%のくだらない話ができて個人的には大変満足いたしました。

最後まで読んでしまわれた方、ご不快になられた方、改めて申し訳ございませんでした。

 

 

 

 

 

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読んでくださってありがとうございました